忘れ去られていた日本統治時代のお寺跡「西本願寺(本願寺台湾別院跡地)」@ 西門


若者の街、買い物の街、賑やかな街、西門。

そんな西門に日本統治時代のお寺跡、
西本願寺跡地(淨土眞宗本願寺派本願寺臺灣別院蹟地)
があります。

ほとんどの建物が焼失し、現在残るのは修復された鐘楼や会館などで史跡というより広場な雰囲気ですが、一部がお茶屋さんとなっていたり、日本統治時代の歴史が知れる場所となっています。

西本願寺(台湾別院)とは

Wikipedia > 西本願寺 (臺北市)より画像をお借りしました)

京都の西本願寺・浄土真宗本願寺派の台湾での布教活動の拠点。

日本統治時代が始まった1895年(明治28年)に従軍布教使として渡台。

この「従軍布教」って何するんだろ?と調べてみると、
◯ 軍人への布教
◯ 戦死者・戦病死者の葬送や追弔法要
◯ 駐屯地や病院などへ慰問、慰問品の寄贈
◯ 戦地での開教およびその準備
など。

これにより、兵士たちの戦意を高揚させ、また慰安したそうです。葬送を通じ兵士たちに戦死(死後)への安心感を与え、士気を高めていったのだそう。なんと切ない…

渡台翌年の1896年には台北協会を設立。お寺の建設が始まったのは1900年で1922年に鐘楼・会館などが完成、本堂ができたのは1931年。
台北の西本願寺遺跡 - Bonjourさんより画像をお借りしました)
本堂がめちゃくちゃ立派!

第二次世界大戦後は国民政府に接収され、政治犯の投獄場所にもなったそうです。

その後、民間宗教団体・理教の本部となるも、1975年に火災が発生し大半の建物が焼失。

焼失後、旧境内は違法建築物で埋め尽くされ眷村(中国大陸から渡ってきた軍人とその家族の生活場)に。 
当時の写真を見ると、ものすごい密集度。建物がぎっちぎちに建てられてる。

この家群が焼けた寺院跡を隠し、存在自体を忘れられていたというからビックリ。

寺院跡が発見されたのは2005年(まだ最近!)。台北市の都市再開発で違法建築が取り壊され、焼け残った寺院跡が見つかったとのこと。

翌年2006年に鐘楼・樹心會館(教えを説く集会所)が市定古蹟に、輪番所(住職の住居)・参道・本堂台座・御廟所(御墓)などが歷史建築に指定されています。

2011年修復が始まるまでは、焼失後の姿がそのままに保管されており、そのときのブログを拝見しました▽
台北の西本願寺遺跡 - Bonjourさんより画像をお借りしました)
△鐘楼。

台北の西本願寺遺跡 - Bonjourさんより画像をお借りしました)
△輪番所(住職の住居)。

台北の西本願寺遺跡 - Bonjourさんより画像をお借りしました)
△樹心會館(教えを説く集会所)。当時は幼稚園もあったそうです。

写真は2009年頃のもの。今と比べるとかなり寂しい雰囲気ですね…日本時代の建物を歴史文化としてとらえ修復、保存してくれる懐の深さに感謝。

参考:

アクセス


最寄り駅は、MRTブルーライン(板南線)・グリーンライン(松山新店線)の西門駅。

西門駅1番出口から大通り・中華路一段を南に約300m。カルフール方面に歩いて約4分です。

鐘楼とレンガの建物(樹心會館)が大通りに面しているので歩いていたらすぐ分かると思います。

ガイドマップ▽
残っている建物が少ないこともあって、公園のような雰囲気です。爆音で踊りの練習をするおばちゃんたちもいた。

少し高台に位置するようになっている鐘楼。

階段を登って中が見られます。

鐘は当時のものではなく新たに造られたものだそうで、税金の無駄遣いだと批判があったそうな。
参考:Wikipedia > 本願寺台湾別院

高欄が美しくて。日本のお寺の雰囲気そのものだなぁ。

引きで見るとこんな感じ。鐘楼の右手にあるのが樹心會館。たまに特設展示がやってるみたい。

鐘楼左手の道が参道。

本堂は全く残っておらず、台座のみ修復されています。台座下には歴史展示室(台北市立文献館)がある面白い作り。

左手には御廟所(御墓)のこれまた台座が残っています。

樹心會館を正面から見た写真。

先程の焼け跡と比べるともう別の建物ですよね。西門紅樓や華山公園の建物群っぽい雰囲気。

この日はメインホール?での展示はなかったけれど、奥の方で日本統治時代の地図や台北市の歴史の展示を見ることができました(常設なのかは分からず)。

鐘楼から見た輪番所(輪番=本願寺直属の別院を取り締まる代表管理職、の住居)。

こちらは現在「八拾捌茶輪番所」という茶芸館になっています▽

公式FBより画像をお借りしました)
外観は日本「風」な建物だけど、中はめちゃくちゃ和!縁側の席も素敵〜。

公式FBより画像をお借りしました)
お茶は本格的な台湾茶というのが面白い。和菓子セットもあり。

お高めだけど良い雰囲気で台湾の方にも人気のようです(^^)

台湾の西本願寺(淨土眞宗本願寺派)は途絶えていなかった!

第二次世界大戦後、台湾から撤退した日本。西本願寺は既述どおり国民政府に接収されています。

こうして西本願寺は廃寺となったわけですが、現在も浄土真宗本願寺派の教えを説くお寺が台中にあるそうです。

それが「光明寺」▽

と、「光照寺」▽

光明寺は、台湾人の「陳銘芳法師」が建てたもの。

陳銘芳法師は戦前、本願寺台北別院で仏教を学び、日本の中央仏教学院、伝道院などでも6年間学んでいます。

戦後、反日の雰囲気に覆われていた台湾で、浄土真宗の布教を自らの使命とし、奔走した方だそうです。

しかし、新本堂落成を前に亡くなってしまいます。その後は息子の一信法師が仕事を辞めその志を受け継ぎ、龍谷大学大学院へ留学。1983年、無事に光明寺新本堂落成法要を行います。

さらに伝道拠点として陳銘芳法師が予め購入していた土地に2003年光照寺を設立。現在に至っているそうです。

参考:
◯ 真宗寺院参拝と日台友好の旅

Google Mapより画像をお借りしました)
光照寺は5階建ての立派な建物。

外観のお寺感はないですが、内観は日本らしさも感じる。
Google Mapより画像をお借りしました)

そして日本と同じ、黒色の法衣を身につけたお坊さん!▽
真宗寺院参拝と日台友好の旅より画像をお借りしました)

なんだろう、今まで宗教って争いごとが起きるイメージが強かったんですが、国を越えた共通の価値観・意志でもあるのだなぁと捉え方が少し変わりました。

圓山の臨濟護國禪寺とはまた違うパターンですが、強い意志により引き継がれた歴史。勉強になりました。

臨濟護國禪寺の記事はこちら▽

以上、若者の街・西門にある西本願寺跡についてでした!


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