【台湾特色スタバ⑤・重慶門市】約120年前の「辻󠄀利茶舗」店舗跡に入るスタバ@二二八和平公園近く


台湾スターバックス(星巴克)の「リージョナル ランドマーク ストア(地域の歴史・文化を反映した店舗)」について書いています。

第5弾は、総督府など政府系の建物が集まる中正區の、スターバックス 重慶門市
について書いてみました。

なんと、京都・祇園辻󠄀利の礎である「辻󠄀利茶舗」が営んだ建物に、時を経てスタバが入るという面白い歴史を刻む建物。

台湾で辻󠄀利を営み、政治的にも大いに活躍した三代目・三好徳三郎さんの人生があまりにも偉大だったので歴史背景が長めです!悪しからずm(_ _)m

重慶店の歴史背景

(1940年頃の辻󠄀利茶舗)
なぜ祇園辻利は、お客さまから長く愛され続けるのか - Agenda note」より画像をお借りしました。

この建物は日本統治初期の1899年(明治32年)、辻󠄀利三代目・三好徳三郎さんが台湾へ渡り開店した「辻󠄀利茶舗」跡。

宇治茶や烏龍茶を扱い、台北で多くの人に親しまれまたそう。祇園辻󠄀利の公式HP「私たちの歴史」の中でも書かれています。

三好徳三郎さんは台湾に40年暮らし、一茶業者に留まらず「民間総督」とも呼ばれ、日本統治時代を牽引した人だったそうです。

やること為すことすごすぎたので、ちょっと略歴をまとめてみました。
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※ 以下は下記コラムを参照し、まとめたものです。面白いので引用元も是非読んでほしいです▽
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◯ 16歳(1891):三代目に就任(※注)
◯ 17歳(1892):宇治にて茶業関係の青年実業協会を設立
◯ 20歳(1895):京都の博覧会にて伊藤博文などのかばん持ち、案内役を買って出て強力な人脈を作る
◯ 21歳(1896):上記人脈を用いてロシア皇帝戴冠式にてロシア皇帝・各国参列者に宇治茶を献上。ヨーロッパ各国に日本茶が知られていくきっかけを作る
◯ 23歳(1898):宇治行幸(訪問)の際に皇太子(後の大正天皇)の拝謁(面会)を賜る
(※注)辻利には「祇園辻󠄀利」の他「辻󠄀利兵衛本店」「京都宇治辻󠄀利」「辻󠄀利一本店」など複数の会社に分かれています。創業者は同じ辻󠄀利右衛門ですが、二代目から本家・分家・暖簾分けなどして枝分かれしていき別々のお店となっているそう(祇園辻󠄀利は暖簾分け)。
参照:
◯ Wikipedia > 祇園辻利
【宇治老舗茶寮】「辻利」の違い:本家・暖簾割り・分家|MATCHA-Girl

 ひと言 若干20歳で伊藤博文のカバン持ち、23歳で皇太子の面会を受けるなどもう若い頃から只者じゃなさすぎる

◯ 24歳(1899):1899年、辻利兵衛の四女・シナと結婚し、渡台。「辻利兵衛台北出張店」を開く。開店披露パーティーに総督、民生長官を招待(出席は無し)し一躍有名に。限られた日本人しか招待されない台湾神社・鎮座式に参列する
◯ 28歳(1903):「台湾茶に関する意見書」を提出。それを踏まえ総督府は製茶試験場を設立。それまで脆弱だった台湾茶業の大幅改良へ貢献
◯ 29歳(1904):1904年、衡陽路と重慶南路交差点角に「辻利茶舗」をオープン
◯ 40歳(1915):沖縄県知事へ台湾包種茶の輸出を談判。現在も沖縄で親しまれるさんぴん茶(香片茶)のきっかけを作る
◯ 45歳頃(1920s):この頃、台湾での紅茶(後の日東紅茶) 製造を熱心に進めていた三井の理事長団琢磨の相談相手に。社内の反対を押し切って台湾紅茶事業を進めた団の後押し、日東紅茶誕生の後押しをした
 ひと言  台湾神社は現在の圓山大飯店のある場所にあり、当時台湾のお札に描かれるほど有名かつ重要な場所だったそうです。そのオープン式に出席できるとはものすごいことなのだと思います。
またさんぴん茶が沖縄で親しまれるきっかけや日東紅茶設立の後押しなど、今では当たり前にあるお茶の成り立ちに関わるなど経営者としての目も素晴らしかったのですね

◯ 45歳(1920):台北州協議会員となる。
◯ 48歳(1923):皇太子(後の昭和天皇)の台湾巡行中に拝謁し、緑綬褒章を下賜される
◯ 52歳(1927):総督府評議会員となり、翌年勲五等瑞宝章を受ける。この頃から誰言うともなく、民間総督と呼ばれるように。

その後、1930年で茶業を任せきりだった妻シナが死去。1934年に家業を長男・正雄に譲る。その5年後の65歳で体調を崩し、台湾で死去。

こんな経歴のお方でした。

皇太子二世代に拝謁できるってすごすぎないですか?突出した行動力と大胆さで公職、公共事業に積極的に関与し、良き未来のために尽力した人格者。(奥さまはさぞ大変だったことでしょう、、)

その後ですが、戦後1948年、台湾からカバン一つで引き揚げてきた三好正雄夫人・喜久さんが八坂神社の近くに「祇園辻󠄀利」を立ち上げたのが祇園辻󠄀利としての始まり。

徳三郎さんによく仕えた喜久さんは、徳三郎さんの貴重な記録を荷物に忍ばせて持ち帰ったそうです。

以上、「辻󠄀利茶舗」の歴史と店主・徳三郎について書いてみました。長くなりましたm(_ _)m

建物はシンプルな造りですが、スタバ前に飾ってあった1925年(民国14年)の写真を見ると(写真上の右側)、▽
この辺り一帯を含めてもっとかためなバロック様式であったことが伺えます。

2006年にスタバをオープンさせるにあたり、最低限の改修・リノベはあったものの、それ以外は元の形が維持されたそうです。

台北市主催で行われていた 「都市空間改裝都市彩妝」 というコンテストの私有建築部門でその年の1位を獲得しています。

アクセス


二二八公園のすぐ近くで、総督府の北側をちょっと行ったとこにあります。

最寄り駅はMRTレッドライン(淡水信義線)の台大醫院医院駅で、歩いて5分強。

西門駅からも暑くなければ歩ける距離で、徒歩約7分。

バスなら店のすぐ近くに2箇所バス停があり、本数も多かったのでオススメ◎

入り口前のアーチ型アーケードは割と新しめでした。

スタバ重慶店はこんな感じ

1階は狭いです▽
12月に行ったのでメニュー表などがクリスマスカラーです。

2階は広い!▽
店内はうっすら暗め。オシャレなリノベというよりちょっと純喫茶っぽい印象。たまたまかもだけど客層も若い人より年配の方多めでした。
スタバらしいふかふか椅子は少なめで、木のイスが多かったです。

音楽のしっとり加減や音量などがちょうどよく、純喫茶を通り越して逆にこんなお店ヨーロッパにあるよな?と思うような素敵なお店でした。

3階は平日でお客さんも少ないので開いていませんでしたが、3階のトイレへ行くときにちらっと見てみたら、
2階と雰囲気は一緒だけど窓が大きい分、明るかったです。

通りをボーッと眺めるのがたまらぬ癒やし。
ちなみに、窓から見える道をはさんで向こう側の建物、昔は「西尾商店」というとても有名な写真機材店だったそうです。

西尾商店旧址 - Taiwan.worldorgs.comより画像をお借りしました)

現在はなんとなんと「the Hive.」というシェアオフィスになっています!なんて贅沢なシェアオフィス。

週末はもっと混み合うのでしょうが、それもまたありかも。

リージョナルランドマークストアは、その地域の歴史や伝統工芸、文化、産業の素晴らしさを再発見し、その発見を通じて地域へ絆を感じられるようにというのが理念だそうですが、まさにまた一つ偉大な歴史を知ることができ、とてもワクワクしました。大感謝。

この辺りは普段なかなか来ないのですが、気になる建物がいくつもありました。歴史好きの方には散策にもってこい◎

歴史建築スタバまとめはこちら▽

店舗情報

名前:STARBUCKS 星巴克  重慶門市
場所:台北市中正區重慶南路一段104號
時間:7:00-21:00
HP:STARBUCKS 星巴克 > 重慶門市


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