桃園神社へ初詣で。日本統治時代の超立派な神社でした。


明けましておめでとうございます!

昨年の年明けは龍山寺にお参りにいったのですが、今年は台湾に現存する、台湾で唯一ほぼ完全な状態で保存されている神社に初詣に行ってみました。

訪れたのは桃園神社(桃園忠烈祠と神社文化園區)

忠烈祠(zhōng liè cí)とは兵士、公務により殉職された人を祀る場所のことで、日本の敗戦後は忠烈祠として存在しています。

想像以上に良き雰囲気の立派な神社で感動してしまいました。

アクセス


桃園国際空港のある桃園地区にあります。

台北市内からの行き方は、地下鉄→バス、バス乗り継ぎ、などありますが、今回は台鉄→タクシーで行ってきました。

最寄り駅は台鉄の桃園駅(桃園火車站)。MRTの桃園空港駅、高鐵(新幹線)の桃園駅とはそれぞれ場所が全く違うので要注意です。

今回は莒光號(急行列車。自強號/特急より停車駅が多い)で行きました。
お顔が渋くていかつい車体。プラレールのように先頭車が客車を引っ張っているため、客車は静か。

日曜の昼前で、行きは座席指定せず乗りましたが空いていて座れました。

帰りは夕方だったので、乗車2時間ほど前に夫がケータイのアプリで指定席を予約。満席で立ちの人も多かったので座れて助かった!

往復とも莒光號で、行きは36分、帰りは45分、51元でした。

台鉄桃園駅は改装工事中でした。何やらものすごいかっこいい駅になる様子。

そして駅を降りると東南アジア系の人がたっくさんいてビックリ!「工場多いからね〜」と夫。そして工場付近の方が安くて本格的なタイ料理店などがあるらしい(羨ましい!)。

神社は駅から3kmほど離れたところにあるので、我が家は駅前からタクシーで向かいました。
駅裏のこのタクシースタンドから。

ちなみにお昼は駅近くのはま寿司で食べたのですが、台北市内と違って空いていて、広くてとても快適だった(新店舗のようだったからまだ認知されてないだけ?)。

桃園神社のマップによるとバスもいくつかあって、
101バスは無料&目の前で降りれるようです。

向かうタクシーからの眺め。
こんな銅像の前(虎頭山公園の入り口)を通り過ぎて、

1〜2分後、桃園神社の駐車場に到着。
駅からタクシーで10分ほど、150元でした。

桃園神社とは

日本統治時代の1938年(昭和13年)に建てられた神社。

台湾には日本時代に建てられた神社の名残がそこかしこにあります。当時、神社は大小含めて200前後もあったそう!

1931年に「一町一社」政策が掲げられたため、そのほとんどが1930年代に創建されたものだそうです。
桃園神社に置かれていた石碑。

第二次世界大戦後は日本の建築物と符号が除去されていくも、桃園神社は忠烈祠(兵士、公務により殉職された人を祀る場所)へと改められ、残されました。

その後1972年、日本・台湾の国交断絶により、国民党政府より各地の神社排除が発布されます。

1985年には桃園神社の解体計画が発表されますが、周辺住民の方々による反対運動、また文化人による「建築様式は古代中国の唐様式、日本様式、台湾の現代様式の融合であり、中国伝統建築様式の保存ともいえる」との働きにより取り壊しを免れたとのこと。

その後再建工事を経て、1994年に国家三級古跡に指定されます。2017年には「桃園忠烈祠と神社文化園區」とされ、歴史的遺産の保存・活用計画がスタート。

何度かの修復工事を経て2020年7月より全面公開されています。

参考:
【桃園市忠烈祠-桃園神社 - 台湾観光協会】
【台湾の神社 - Wikipedia】
【桃園神社 - Wikipedia】
【台湾で神社が多数造営されたわけ - nippon.com】
【桃園忠烈祠 - 文化部文化資產局】
〇  桃園神社パンフレット

神社内はこんな感じ

ガイドマップ▽
こんな立派な神社とは知らずに行ったのでビックリ、、!

パーキングの隣にあったトイレ▽
こちらは1986年の修繕時に作られたもの。

鳥居前のお庭▽
樹齢何年!?な大きな木に混ざって植樹された小さな桜の木も(^^)

庭の奥には管理室▽
管理人さんの宿舎だったそう。現在は文創商品販売所とありましたが、閉まっていて中も空っぽでした。

ガラス越しに覗くと、畳や欄間のある素敵な和室でした。

正面の鳥居▽
当時3つあった鳥居が現在はこの1つに。上部が壊れていますが、忠烈祠に改まった際に手を加えられたとのこと。

手水舎▽
緑青の銅瓦と、屋根内側の格子がとてもきれいな手水舎。

神社の建物全体に細かな格子が多く使われていて、それがとにかく素敵でした。

社務所。
なんて趣のある社務所。昔、近所の神社で巫女さんをやっていたのですが、社務所は普通の事務所のような建物でした。こんな社務所、いいなぁ。

現在はここが観光サービスセンターで、日本語のパンフレットもここに置いてありました。

銅馬▽
銅馬の後ろに立派なヤシの木があるのが神社らしくなくておもしろい。

狛犬(高麗犬)と中門▽

中門には「國魂」と書かれた額が。
これは中華民国40年(1951年)と書かれているので日本のものではありませんね。国民党政府となった後、桃園県県長さんから贈られたもののようです。

拝殿(はいでん)▽
緑に囲まれ、人も少なく、静寂が漂います。

拝殿アップ▽
最高級台湾ヒノキで造られているそう。時の経過が木の味わい深さを引き立てていますよね。

拝殿の端にはなんと菊の紋章が▽
銅馬にあった菊の紋章は破壊されたとありましたが、これは発見されなかったのか、、?

奥に見えるのが本殿です。

こんな精巧な神社建築が海外で見られるとは驚きました。戦争の負の遺産ではあるものの、芸術・文化として柔軟に解釈し残してくれた台湾の方々のおかげですね。

▼ 日本統治時代、最も重要な神社とされた「台湾神社」に触れている記事もどうぞ
【豪華絢爛!圓山ホテル宿泊記①〜アクセス方法、ホテルの歴史、写真多めの館内散歩〜】

施設情報

名前:桃園忠烈祠(táoyuán zhōng liè cí)と神社文化園區
住所:桃園市桃園區成功路三段200號
時間:9:00-17:00



スポンサーリンク
スポンサーリンク


0 件のコメント :