スライド後3ヶ月の鬼大変だった話~段ボール96箱・VISA帰国・ローカル幼稚園の話~

台湾に越してきてもうすぐ8ヶ月!

今は生活もすっかり落ち着いて家族のペースでのんびり暮らしていますが、台湾に来てからの3ヶ月は本当に大変でした、、

▼前回はこんな感じでした
【「反省」大変だったお引越し~荷物出しから荷物入れまで~】

▼精神的に参ってる、、笑
【シンガポール生活がはじまりました!バタバタバタ、、】

何が大変だったかって、新生児を連れての引越し(その他諸々)だったこと。

ただでさえ大変な海外to海外のお引越し。ここに首の座っていない新生児が加わるともうカオス。

4人家族としてのリズムがまだ安定していない中(主に長男の赤ちゃん返り)での環境変化は体力的にも精神的にもきました。

今回は如何に大変だったかを書きたくて書きました(笑)よければお付き合いくださいませ。

辞令がでたときのこと

異動の辞令が出たのが次男が生後1ヶ月のときでした。

周りには随分ビックリされ、事情を知らない方には「大変ですね、、」と憐れみの目で見られましたが(そりゃそうだ笑)、そうなるらしいことは産む前から分かっていたので「きたか、、」という感じでした(新生児連れておいおい本気かよ、とは思ったけれど)。

でも行き先の台湾自体は楽しみで、とにかく気合いで乗り切る気持ちでした。

次男が2ヶ月になる頃に引越しだったので、家だけ決めたらしばらく日本に帰ることも考えました。逆にシンガポールに私と子供だけ残って1、2ヶ月後に行くという選択もありでしたが、どちらも我が家的にあまりメリットを感じずやめました。

しかしやはりこなせるか不安で、母に「荷解き手伝いに来てくれる?」と電話すると2つ返事で「行く行く!」と言ってくれたときには安心して涙がでた。

次男の出生手続きと緊急一時帰国

辞令がでた頃は次男のパスポートを取得したばかり、またビザ申請中のためパスポートは手元にない状態でした。

シンガポールでは42日以内にビザを取得しないと違法滞在になってしまいます(申請すれば延長可だがそれもまた面倒)。あと数週間でいなくなるというのにビザセンターまでDPカード用の写真を取りに行ったりと、ムダなことをしていました(外国人だから仕方なし)。

台湾に来てからは会社のミスで台湾側のビザが日本に戻らないと取れないことが分かり、急遽一時帰国。笑
(せっかくなので日本の秋を堪能)

やっとビザが取れると、今度は居留証(シンガポールのDP/EPみたいなもの)を申請するのですがそれがまた少し時間がかかり、台湾に来て1ヶ月半後くらいにようやく取れました。

居留証がないと受けられない予防接種があったため、生後4ヶ月でようやく生後2ヶ月時の予防接種を受けさせることができました(T_T)

台湾に来てからの怒涛の1ヶ月

台湾に来た翌日には早速11件内見。

シンガポールのときは家決めまで2週間の猶予があったのが今回は1週間しかなかったので、事前に希望を伝えておいた物件リストをもとに一気に見ました。

台湾は台北中心から少し離れた場所に日本人が多く住む地域があります(日本人小学校があるため。バスは人数制限があるので基本は歩いて登校らしい、、!)なので中心部に住むかその地域に住むかのまず2択を迫られます。子供が小さければ気にする必要はないけれど、我が家はもうすぐ小学生なので両地域の物件を見ました。

不動産屋さんはエイブルさん。日本語だしとっても丁寧。不動産だけでない情報もたくさん聞けてかなり助かりました。

翌々日からは幼稚園探し!これがまた大変だった、、詳しくは下記へ。

ホテル暮らし中は洗濯物が溜まったらコインランドリーへ。
ホテルの近くになかったので15分ほど歩いて。重いし時間かかるしで地味にキツかった、、

ホテルで寝る生後2ヶ月の人↓
シンガポール生まれなのにシンガポールにいた期間はたった2ヶ月。大きくなったら不思議に思うかしら(思うよな)。生まれてすぐにバタバタさせてごめんよ。

新居についたら早速航空便をゲット。一番嬉しかった炊飯器!↓
タイ→シンガポールのときは航空便に炊飯器は入れられなかったのですが(内蔵電池がアウトらしい)、シンガポール→台湾はOKでした。持ってこれて本当によかった。お米さえあればあとはなんとでもなるもんね。

船便の荷物は1カ月後にゲット。その数82箱。航空便と合わせると全部で96箱もあった、、(^^;)

緊急一時帰国から戻ってきたのが船便受け取りの前日で、帰りの飛行機で母も一緒に来てもらいました!片付け以上に長男の相手をしてくれるのがありがたすぎた。涙

一週間来てくれた母のおかげもあって、ほぼ片付きました!

授乳の睡眠不足と抱っこで身体はバキバキでしたが、これだけ動けたのは無痛分娩のおかげ。モトコ先生の元で産むことができて心底よかったと今でも夫と話します。

大変だった幼稚園探しと入園後の1ヶ月

幼稚園は来た翌々日から探しだしました。台湾はママブログが少なく、ネットに生活情報があまり落ちていません。地域や子の年齢ごとにLINEグループ(多いグループはなんと500人!)があってクローズドな中で情報交換されています。

アメブロの駐妻ブログがタイやシンガポールに比べて圧倒的に少なくて寂しい、、

幼稚園情報は台湾掲示板の書き込みとマイナビebooksの記事、不動産屋さん情報を頼りに、全部で5つの幼稚園を見学しました。

合間の日には毎日公園へ行って遊具遊び。
台湾は屋台が多いし昼頃になると出張お弁当販売がそこら中でやっているので助かりました。

が、元気いっぱいの5歳児と新生児を連れての毎日はなかなか大変で、長男にイライラ。感情的に怒ってばかりでした。寝かせているところで大きな声でしゃべるので「うるさい、静かにして!」とか、、

ある日「僕も赤ちゃんになりたい、そしたらケンカしたり怒ったりしないし」と言われて胸がズキズキ。甘えさせてあげれていませんでした。もう本当にいっぱいいっぱいで。

いつもフォローしてくれる夫はさらに会社のこともあるので当然大変。みんなが疲弊。そんな中幼稚園探し。

台湾には「日本語」という観点からみた場合、幼稚園の選択肢がとっても少ないです。ザ・日本人幼稚園となると1択。そのため人数が集中して、見学した年中クラスは29人×2クラスもいてビックリしました。

他に日本人の先生がいたり、日本人の方がやっている園もありますが、バスが近所にしか行かないため住んでいる場所によって通える場所が限られます。 とっても素敵な幼稚園もあったのですが、バスなし給食なしでなくなく諦めたり(補修班というタイプの園では出せないそう)。

タイもシンガポールも選択肢が多すぎて決められないほどの環境だったので、何を犠牲にするか悩みに悩んだ。多くても悩むし少なくても悩むし、ないものねだり(><)

そうして消去法で今のローカル幼稚園を選びました。日本人の子も日本人の先生もいますが、基本は中国語で日本語のレッスンも毎日あるわけではありません。

シンガポールではN2(年少さん)からのスタートだったし、毎日日本語レッスンあり&日々のレッスンの中で英語を言語として学ぶ時間がたくさんありました。

しかし今は中国語を覚える授業はなく(書きはある)、話せるのが前提の授業。中班(年中さん)から馴染んでいくのは難しく、離れるときの辛そうな顔、夜寝る前に中国語が分からないから行きたくないとポロポロ泣かれるのは私自身も精神的にかなり堪えました、、

台湾の幼稚園には入園金がなく、学期ごとに註冊費(登録料)を払うというシステムなので、長男がずっと嫌がるようだったら転園もしようとまた別の幼稚園を見学したり。

しかし担任の先生とは英語で会話ができたこと、また日本人の先生が手厚くフォローしてくださったおかげで1、2ヶ月後にはすっかり慣れました!

それでもローカル幼稚園は保育時間が長く、授業も結構きっちりなので、「幼稚園行きたくない」とはよく言っていましたが(^^;) 頑張って行っているというスタンスなので、お休み前は今でもとっても嬉しそうだし。笑

半年経った今では、進歩のない母と違ってキレイな中国語が自然と出てくるようになりました。

慣れてきた頃に今度は今までの反動かスーパー反抗期がきてこれまた悩みましたが、、私自身の接し方をよくよく見つめ直し、長男と向き合う中で落ち着いていきました。

*

幼稚園も落ち着きようやく一息つけるかなというところで義両親来台や母妹来台、さらにテンションをあげるために沖縄旅行を前から取っていたので、2019年は最後までドタバタしながら終了(^^;)

今年に入ってからは10年ぶりにインフルエンザになって死にそうな思いをした私。絶対今までの疲れがでたんだよと言われ、絶対そうだと自分でも思った。笑

ずーっと気が張っていたのがようやく抜けてゆっくりやれるようになったのもその頃から。

落ち着いてから思うのは寝返りもせず、おっぱいを飲んだら寝ていてくれる時期でよかったなと。結果論ですけどね!ハイハイ時期も、1才も、2才も、きっと小学校、中学校と大きくなったらなったでそれぞれに大変なこと、心配ごとがありますよね。

お母さんたちみんな本当にお疲れ様です、、!

とりあえず今はもう、しばらく転居はしたくない。笑


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